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こんにちは、皐月紫音です!
前回の「〜レトロ喫茶開拓記〜一杯一冊」に続いて新しいマガジンを始めてみました。
こちらでは私が現在目標とするベラルーシの都市「ヴィーツェプスク」移住までの軌跡を記録していこうと思います。
ベラルーシ🇧🇾と言いますと、日本ではやや馴染みが薄い国かもしれません。
ですから軽くだけこの国と民族の成り立ちについて書かせていただければと思います。
◾️ベラルーシという国
もともとはロシア・ウクライナとともに『キエフ・ルーシ国』の一部であった東スラヴ人の国です。
この『キエフ・ルーシ国』というのは様々な「ルーシ国家」の連合体で、その中心にあったのが現ウクライナの首都「キエフ」であるためにこう呼ばれています。
ちなみに「ルーシ」というのは、かつてロシア方面に進出した北欧のノルマン人(ヴァリャーグ人)を東スラヴ人たちがこう呼んだのが始まりではないかとされています。
後に彼らは、自分たちと南からのハザール、双方に攻められて対処できなくなった東スラヴ人たちからの降伏を受け入れました。
そして、東スラヴ人たちを自分たちに同化させて『ノヴゴロド国』を建国。
同化した東スラヴ人たち含む彼らが支配した各地域が「ルーシの地」と呼ばれています。
つまりキエフルーシ国というのは広義では、このルーシの地にある様々な国の連合体、狭義ではその中心にあった国ということになります。
ここら辺は私も勉強不足なので補足や修正があれば是非コメントをください。
その後はベラルーシとロシアは長きに渡り別の運命をたどります。
1240年ごろ、モンゴルの侵攻でキエフが陥落しキエフルーシが崩壊。
ベラルーシやウクライナの辺りはリトアニア大公国(1251〜1795)、そして後に連邦国家を形成するポーランドの勢力圏に入りました。
この地でリトアニア系以上の人口を誇った東スラヴ系が今のベラルーシ・ウクライナの人々です。
同時期にロシアの前身となるモスクワ大公国(1263〜1547)は北東で今のロシアの広大な領土へと続く地と国々を次々に支配下においていました。
この時点で、今のヨーロッパの文化圏に入ったベラルーシ・ウクライナと、北東の広大な土地を開拓していたロシアでは別の道を歩んでいたことがわかります。
その後にベラルーシはロシア帝国の一部になるのですが、いわゆるナショナリズム、「自分たちはベラルーシ人」のような意識が形成される起源は、ここら辺にあったのかもしれません。
その後はソ連の一国「白ロシア・ソビエト社会主義共和国」として「国」という形を得て、ソ連崩壊によって1991年に今のベラルーシとなりました。
長くなってしまいましたが、ここまでがベラルーシ建国の成り立ちです。
キエフルーシ崩壊後は、別々の道を歩んできながらもベラルーシは今ロシアととても密接に結びついている国です。
例えば現在ベラルーシはロシアと将来的には軍事・通貨・経済などの統合を目指すことを目標にした、ゆるやかな連合国家を形成しており、これは他の旧ソ連諸国とは大きく違うところでしょうね。
ロシア国旗の三色は、「赤」=ロシア・「白」=ベラルーシ・「青」=ウクライナを表すとも言われています。
旧ソ連国家の中でも東スラヴ系民族の国で、中核にあった三カ国の関係をロシアがどう捉えているかがよくわかるエピソードですね。
◾️私とロシアの出逢い
さて、ここからは私がなぜベラルーシ移住を目標にしたのかという話ですが、それにはまずは私とロシアの出逢いについて話す必要があります。
といっても、他のロシア界隈にいるような方々のような濃いエピソードがあるわけでは全くありません。
私は子供の頃から日本社会に全く馴染めない子でした。
日本という国において求められるいわゆる全体主義的な規律を乱さない人間であることに耐えられなかったのですね。
私は日本人の気質は、それこそソ連なんかよりよほど共産主義・全体主義的だと感じています。
まぁそこの話は今回はあまり関係ないので省きます。
逆に押さえつけられると反抗したくなる私は、どんどんと人の行かない道を行く人間になりました。
その結果、私の知人は知るとおりこんな変人ができあがりました。笑
兎にも角にも学生時代、あまり気持ちの良いものではないスクールライフを送った私の心の支えになったのが海外ドラマや映画でした。
日本の普通は世界の普通じゃない、自分がおかしいのではなく、ここが自分の居場所じゃないだけだ!と確認できたわけです。
そんなこんなで将来は、日本を出ようと私は決意しました。
まだ小学校高学年のときです。笑
そして、まずは英語を全力で私は勉強したわけですが、これが見事なまでにものになりませんでした。
勉強の仕方がダメだったのでしょうね…。
見事に挫折した私は気がつけば高校卒業の年に。
このまま大学に入って図書館司書の資格を取って…なんという進路がなんとなくできてました。
ですが、その間もずっとこのまま日本で終わるのか?それは自分の理想の人生と言えるのか?という葛藤がありました。
その時に見たのがかの有名な「サウンドオブミュージック」でした。
ザルツブルクの温かな家庭、芸術と自然に囲まれた優雅なライフスタイル…これだよ!となります。
よし、未来はわからんけど自分はザルツブルクに移住しよう。
仕事とかどうなるかわからないけど、行けばなんとかなるだろ。
このメンタルで私は某大学の通信制の文学部に入り、ドイツ語やドイツ語圏文化を学ぶことに。
ですが、ここで二度目の挫折が待っていました。
まず大学のカリキュラムがむずかし過ぎて、ドイツ語の勉強に充てる時間がほぼなかったのです。(通信なので入るのは簡単ですが名門大学でしたので内容はきつい)
そんな私は持ち前のアホな行動力によって、とんでもない決断をしました。
大学と言語の勉強の両立は私の頭ではできない。
移住と卒業どっちが大切か?
そもそも卒業して何がしたいの?
そう自分に問いかけ続けた私は大学を中退して移住のために必要な勉強に全力投球します。
ですが…。
はい、二回目の挫折です。
ドイツ語は英語に比べれば最初は簡単だったのですが、なんというか文法規則というか、言語の仕組みのようなものが私には合わず、言語としてあまり相性が良くなかったのですね。
そもそも勉強体制の低い私にとって、それを無理してやるというのはなかなかキツかったわけです。
20歳も超えて年月だけが過ぎていくのに、ほんとに自分は何をしているのか。
このまま、日本で無難になんとか仕事して生きていくしかないのかと現実を見出した私は辛くなりました。
相変わらず日本社会や組織というものには居た場所が悪かったり、そもそもこのころの自分がマインド的にも結構ダメ人間だったのもありますが、馴染めませんでした。
政治という面で見ても私の望む方向とは日本は多分野で逆行してました(現在進行形でこれはそう)。
まぁ民主主義国で国を動かす国民の多数の思想が、私と異なる国なのでそれも必然。
誤解を生まないように言っておくと、私は安全保障に関してはかなり現実派です。
ただ、アベノミクスや日本外交には否定派であり、また社会的な政策に関してはかなりリベラルです。ヨーロッパのリベラル系政党の思想に近いと思っていただければ。
そんなとき、そもそも自分って一回も海外行ったことないんだよなと今更ながら思いました。
幸い貯金は結構あるしどこか自分探しにでも行くかと思い考えました。
そのとき、ふっと頭に浮かんだのがなんとロシアだったわけです。
もともと、北の方にある謎に包まれた超大国、あの濃いプーチン大統領のキャラクター、豊かな芸術など様々な文化など厨二病的には必然と惹かれる国です。
おまけに国際的立ち位置でいえば、アメリカの影響を全てにおいて受ける日本とは逆側の国じゃないですか。
他の国以上に日本ではネガティブな部分しか報道されませんし。
めっちゃ興味深いなぁと思ったわけですし、この国の社会や空気に常に反骨精神を持ち続けてきた私としては初海外としてピッタリな国じゃないのかと思ったわけですよ。
行動力だけはあるバカの私は、決めたその日に阪急交通社に相談に行きました。
そして大体の行く時期の目処をつけた私でしたが、英語も全く喋れないしどうしようと思ったわけです。
せっかく大金使って行くなら得るものは多い方が良いですからね。
そこで日本人観光客が向こうでロシア語で話せたらめっちゃ面白いんじゃないか?と思い、ウクライナ人の方に三ヶ月間みっちりロシア語を教えてもらいました。
すると…英語もドイツ語も挫折した私が、なんと多少ですが話せるようになったのですよ!
といっても本当に少しです…。
ですが、できてくると勉強って不思議と面白いもので、なんなら私ロシアに滞在した期間、隙間時間ずっとロシア語勉強してましたからね。笑
と、そんなことをしているうちについに約二週間のロシア旅行へ…。
これは2019年の12月のことです。
残念ながら年越しには合わせられなかったのですが、ロシアに行くなら冬にと決めてました。
正直、ここに来てはじめての海外にワクワクするとともにめっちゃビビってました。
探すと、やっぱり現地でこんな危険があるとかそういうネガティブな情報ってめっちゃ出てきますしね。
あと入国審査ってやっぱりめっちゃ厳しいって言うじゃないですか。
それに日露関係を考えるとね。
無事に入国できるのだろうかなどと思いながら、飛行機で隣に居合わせたロシア人女性に下手なロシア語で会話を試みる私。
クールな表情で対応しっかりしてくれてありがとう、あの時の方。
そしてついに入国審査に。
ドキドキしながら「пожа́луйста(パジャールスタ)」と、ロシア語で「お願いします」とパスポートを差し出す私。
まさかの笑顔で見送られ10秒とかからずにロシア入国…!
安倍元総理、あなたの政策には私は批判の方が多かったけど日露友好に尽力してくれたのには感謝します。と、心の中で感謝。
※現在ロシアへの入国は相当厳しくなっています。
と、はじめての海外であるロシアの地に足を踏み入れた私です。
首都モスクワ、帝都サンクトペテルブルク…その他セルギエフ・ポッサードのような文化都市、そして途中で立ち寄ったいくつかの田舎町など。
まずもって思ったのがほんとに超大国だなぁと。
信じられないほどの美しい伝統建築の街並みと、近未来的な都市が融合していて栄えているんだけど東京とは明らかに違う。
商売のために広告とかで埋め尽くされた街じゃなくて、景観をすごく大切にしていていい意味で管理されているなと。
あと自然も多いし、国土が広いからこそできるのもありますけど、街がすごく大きいから人が多くても息苦しくないんですよね。
広大で美しく力強い、一言で言うとファンタジー世界の〝帝国〟って雰囲気が漂ってました。
モスクワのソ連らしい薄暗い朝もペテルブルクの幻想的な夕焼けも今思えばすべて夢のようでした。
田舎はそこならではの人と人のつながりを少し離れたところから見てるのが魅力でしたね。
思い出は流石にここでは書ききれません。
旅が終わる頃には、自分ここで全然生きていけるし生きていきたいわって気持ちになってて、海外生活がすごい身近に感じられて自信にもなりました。
そういう意味で、今後いろいろな国に行く機会に恵まれるかもしれないけどロシアはやっぱりずっと特別な国ではあるのだろうなと思います。
◾️なぜベラルーシ?
そんなこんなで、私はそれからもロシア語の学習も続け二年と少しほど前にロシア語検定の3級も取りました。
初めての旅行の後もロシアやベラルーシ、ウクライナ、他にもロシア語が使えて興味のあったイスラエルのような国には何度も行こうと思ったのですが、コロナに最近の情勢のようなことも重なり、私の私生活でもいろいろあったためタイミングを逃し続けてきました。
ですが30歳を過ぎて、流石にもう移住に向けて本格的に挑戦すべきだと思ったわけです。
今の世界を見ていると、本当に未来なんてどうなるかわかりません。
むしろ、このまま日本にいることにも様々なリスクが考えられ、私の行きたいような国には一生行けなくなるなんてこともあり得ます。
そこで移住するにもどこの国のどこの都市にするかという問題が出てきます。
魅力的な場所が多くて悩みますが、条件で絞っていけば意外と限られます。
国はやはり東スラヴ国家でロシアorベラルーシのどちらか。
暮らす街は都会過ぎず、田舎過ぎず落ち着いた雰囲気の場所が良い。
あえて日本で言うならば京都の宇治のような場所が利便性も景観も街の雰囲気もイメージに合います。
現実的な予算の問題も重要ですね。
あとはその街の歴史とか文化に共鳴できるものがあれば最高だなと探していたところ、ベラルーシの「ヴィーツェプスク」の写真が目に入りました。
なんだ、この美しい都市は…!と私はめっちゃ感動し、一瞬で西ドヴィナ川を見つめながら生活する日々のイメージが頭を占めました。
さらに調べていくと街での生活費も頑張れば捻出できる可能性が高そうです。
というよりもベラルーシの生活費がかなり安めですね。
そして街の歴史について調べると、帝政ロシア時代はユダヤ人が人口のほとんどを占めるユダヤ人の街だったようです。
これも今、ユダヤ教文化を学ぶ自分にとっては運命のように感じられました。
2010年代にできたルバヴィッチ派のシナゴーグもあるようで、今日本で通っているところと宗派も同じなのでちょうど良いですね。
◾️最後に
そんなわけで私のベラルーシ「ヴィーツェプスク」移住を目指す軌跡は始まりました。
ここでは、目標までの道のりや調べた情報の記録などをしていき、できるならば皆さんには温かく見守っていただければ嬉しいです。
同時に私の活動を見て、今本当はこんなことしたいのに挑戦できてないという人が居るなら少しでも勇気を出すきっかけにしてもらえればなと思います。
こんな典型的な社会不適合者で、落ちこぼれみたいなヤツでもできるんなら自分にもってきっと思えると思いますので。
それではまた次回お会いしましょう!
最後に以下私が活用してきたロシア語のおすすめテキストです。
これと小学館の電子辞書アプリでロシア語能力検定3級までは合格できました。
もしロシア語学習に興味がある方がおりましたら是非。
ロシア語じゃなくても言語って、結構好き嫌い相性の良し悪しあの英語が全くできなくても他に覚えたい言語あるなら一度挑戦してみると良いと思います。
「初級ロシア語20課」
「これなら覚えられるロシア語単語帳」
「これならわかるロシア語文法 入門から上級まで」